八月も下旬に入ると、日中の暑さはそのままなのに、夕方の光だけが少し変わってきます。同じ夏の日ざしのはずなのに、影が長くなって、色が濃くなって、どこか遠くから射しているような。この「光だけ先に秋になる」感じが、私はいちばん好きです。
2026年の処暑(しょしょ)は8月23日(日)。二十四節気のうち、立秋のつぎに来る節気です。そして同じ8月23日から24日にかけて、近畿地方を中心に地蔵盆(じぞうぼん)という行事が行われます。町内のお地蔵さまに提灯を飾り、花とお菓子をお供えして、子どもたちが主役になる二日間。
東京・神楽坂の花屋である桔梗屋では、正直なところ、地蔵盆の風景を店先で見ることはほとんどありません。けれど「知らないから書かない」のではなく、「知らないからこそ調べて、そのやさしさを紹介したい」と思いました。今日は、処暑という節気と、その七十二候と、地蔵盆という行事と、そこに供えられる花の話をゆっくりお届けします。

処暑を過ぎると、店に入ってくる花の顔ぶれが少しずつ変わっていきます。暦って、案外いいかげんじゃないんですよ。
処暑とは——「暑さが処(や)む」と書く節気
処暑の「処」という字を、私たちはふだん「ところ」と読みます。処方箋、処理、居場所の「処」。けれど、この字にはもうひとつ「とどまる」「おさまる」「やめる」という意味があります。
つまり処暑とは、「暑さが処(や)む」——暑さがおさまりはじめるという意味の節気です。暑さがぴたりと止まる、という強い言い方ではありません。とどまる、落ち着く、ひと区切りつく。そんな、ゆるやかな停止のニュアンスです。
ただ、正直に書いておきたいのですが、8月23日は実際にはまだ十分に暑いです。とくに近年は、処暑を過ぎても真夏日どころか猛暑日が続くことが珍しくありません。「暦と体感がずれている」と感じる方は多いと思います。
けれど、それでも処暑という言葉が千年以上使われ続けてきたのは、この時期に確かに変わるものがあるからだと思うのです。気温ではなく、光の角度と、空気の乾き方と、日が落ちる速さ。
- 朝5時の空気に、ほんの少しだけひんやりした層が混じる
- 夕方の日ざしが黄色っぽく、影が長くなる
- 日没が目に見えて早くなり、19時前には暗くなりはじめる
- 夜に鳴く虫の種類が、セミから鈴虫やコオロギに入れ替わっていく
- 入道雲の背が低くなり、うろこ雲が混ざる日が出てくる
気温という一つの数字だけを見ると「まだ夏」ですが、こうして並べてみると、季節はちゃんと動いています。処暑は「秋が来た」という宣言ではなく、「秋の準備がはじまりましたよ」というささやきくらいの温度感で受け取るのが、いちばんしっくりくる気がします。
二十四節気は、期間としても使われます。2026年の処暑は8月23日から、次の白露(はくろ)の前日までがその期間にあたります。だいたい二週間。この二週間が、夏と秋の橋渡しの時間です。
処暑の七十二候(一)綿柎開——綿の実を包むガクが開く
二十四節気をさらに三つずつに分けたものが、七十二候(しちじゅうにこう)です。およそ五日ごとに季節の名前が変わっていく、とても細かい暦。処暑の初候は、植物好きにはたまらない一句です。
綿柎開(わたのはなしべひらく)——8月23日ごろから8月27日ごろ。
「柎(はなしべ)」とは何か
「柎」という字は、まず読めません。私も最初は辞書を引きました。これで「はなしべ」と読み、花の萼(がく)を指す言葉だとされています。
萼というのは、花びらのいちばん外側にあって、つぼみのときに花を包んで守っている、たいてい緑色をしたあの部分です。ふだんは脇役で、名前を呼ばれることもほとんどありません。その萼が主役になっている季節の名前——それだけで、私はもうこの候が好きになってしまいます。
そして「綿柎開」が言っているのは、ワタの実を包んでいた萼が、この時期に開きはじめるということ。つまりこれは、綿花の話なのです。

綿って、花が咲くんですか? 布のイメージしかありませんでした。
ワタはアオイ科——ハイビスカスの親戚です
これはよく驚かれるのですが、ワタ(綿)はアオイ科ワタ属の植物です。アオイ科というのは、ハイビスカス、フヨウ、ムクゲ、オクラ、タチアオイなどが属する一族。言われてみれば、ワタの花はハイビスカスをそのまま小ぶりにして、色を淡くしたような姿をしています。
花の色は、淡いクリーム色から淡い黄色。花の中心に赤黒い目が入る品種が多く、これがまたきれいです。夏に咲きますが、一日でしぼんでしまう一日花。ハイビスカスやムクゲと同じで、朝に開いて夕方には役目を終えます。ただし暑い時期には次から次へと咲くので、株としては長く楽しめます。
面白いのは萼の構造です。ワタには萼片のほかに、「副萼(ふくがく)」と呼ばれる大きな三枚の葉のようなパーツがあり、これが萼のさらに外側から花とつぼみを包んでいます。しかもこの副萼、花が終わって実になっても残り続けます。
花が終わってから、綿になるまで
ワタの一生を追いかけると、こうなります。
- 夏、淡い黄色の花が一日だけ咲く
- 花がしぼんだあと、緑色の実(さく果)がふくらんでいく
- 実は三つから五つの部屋に分かれていて、中で繊維が育つ
- およそ一か月後、実が熟してはじけ、包んでいた殻と萼が開く
- 中から真っ白なコットンボールがあふれ出す
「綿柎開」が指しているのは、この四番目の瞬間です。かたく閉じていた緑の実が、ぱきりと裂けて、中の白いものが顔を出す。あの光景を「柎(がく)が開く」という、とても静かな言い方で表現しているのが、私はたまらなく好きなのです。
ちなみに、あの白いふわふわは花びらではありません。種子から生えた毛(種子毛)です。ワタは風に乗って種を遠くへ運ぶために、種のまわりに長い毛を生やす戦略を選びました。人間はその毛だけを頂戴して、糸にして、布にして、何千年も着てきたわけです。
七十二候はもともと古代中国の暦に由来し、日本では江戸時代に日本の気候に合わせて改訂されたと言われています。その改訂のなかで、木綿という当時の大産業が季節の名前として残された。「綿柎開」という一句には、暦と農業と、人の暮らしの手ざわりが同時に詰まっています。

(種を飛ばすための毛を、全部むしり取られて服にされてる……ワタってすごい植物だな……)
なお、ドライフラワーや秋のスワッグの素材として使われる「コットンフラワー」は、まさにこの実がはじけた状態のもの。あれを見かけたら、「ああ、綿柎開だな」と思い出していただけたら嬉しいです。
処暑の七十二候(二)天地始粛——「粛」という字の美しさ
天地始粛(てんちはじめてさむし)——8月28日ごろから9月1日ごろ。
読みは「てんちはじめてさむし」。天地の暑さがようやくおさまりはじめる頃、という意味です。
この候で立ち止まりたいのは、「粛」という一文字です。粛という字には、しずまる、ひきしまる、縮む、おとろえる——といった意味があるとされます。私たちがふだん使う「厳粛」「静粛」「粛々と」の粛。背筋がすっと伸びるような、あの緊張感のある静けさです。
夏の終わりを「涼しくなる」でも「和らぐ」でもなく、「天地が粛(しゅく)す」と表現した人がいる。この言葉の選び方が、私はとても美しいと思います。
夏という季節は、どこか放埒(ほうらつ)です。草はぼうぼうに伸び、虫は騒がしく、雲はでたらめに湧き、人も少し浮かれている。その広がりきった気配が、あるとき、すっと引き締まる。だらしなく広げていた腕をおろして、正座しなおすような。それが「粛」だと考えると、この候はただの気温の話ではなくなります。
花屋の店先でも、この時期に似たことが起きます。夏の花は「勢い」で咲きます。ヒマワリも、ケイトウも、グラジオラスも、とにかく上へ、外へ、明るく。ところが秋の花は、内側に向かって引き締まっていくような佇まいをしています。リンドウの深い青、ワレモコウの小さな赤茶、ススキの穂の抑えた銀色。派手さで勝負しない花たちに入れ替わっていくのが、まさにこの候の頃です。
もし花を一輪だけ買う機会があったら、この時期は「静かな花」を選んでみてください。夏のあいだ、家のなかは冷房の音と扇風機の風で騒がしくなりがちです。そこに一本だけ引き締まった色の花があると、部屋の空気まで少し粛としてきます。
処暑の七十二候(三)禾乃登——「禾」は稲穂の形
禾乃登(こくものすなわちみのる)——9月2日ごろから9月6日ごろ。
稲や粟(あわ)、稗(ひえ)といった穀物が実る頃、という意味の候です。ここでも一文字、注目したい字があります。「禾」です。
「禾」は「のぎ」と読みます。もともとは穂先にあるあのギザギザした細い毛のことを指す言葉ですが、転じて稲・粟・稗などイネ科の穀物全般を表すようになったとされています。そして字の形そのものが、稲が穂を垂れている姿をかたどった象形文字だと言われています。
「禾」の字を見つめてみてください。まっすぐ立った茎の上に、片側へ垂れる穂。たしかに、実って重くなった稲そのものの形です。漢字というのはときどき、こういう絵を隠し持っています。
私たちがふだん使っている「私」「秋」「科」「稲」「穂」といった字は、みんなこの「禾(のぎへん)」を持っています。「秋」は、禾と火。穀物が実って色づく季節、という組み立てです。処暑の末候にこの字が置かれているのは、いよいよ秋の入口だという合図でもあります。

「秋」が「禾+火」って、はじめて知りました。漢字って絵だったんですね。
ただし、この候は喜んでばかりもいられません。稲穂が重くなるこの時期は、同時に台風の季節でもあります。実りが目前だからこそ、農家の方々はまだ気を抜けない。「禾乃登」という言葉のうしろには、実りへの祈りと、それを吹き飛ばされまいとする緊張が、両方あるように思います。
地蔵盆——子どもが主役の、近畿のやさしい行事
さて、ここからは行事の話です。処暑と同じ8月23日から、近畿地方を中心に地蔵盆が行われます。
いつ、どこで行われるのか
地蔵盆は一般に8月23日から24日にかけて行われる行事です。ただし、現代では参加する子どもや大人の都合に合わせて、前後の土日にずらして開催する地域も多いとされています。かつては数日にわたっていたものが、子どもの数の減少などから一日に短縮されるケースも増えているようです。
地域としては、京都・大阪・滋賀・奈良・兵庫など、近畿地方を中心に、北陸の一部などでも行われていると言われています。町内会や自治会の単位で、その町の辻に立つお地蔵さま(辻地蔵)を囲んで開かれるのが基本の形です。
なぜ8月23日・24日なのか
これには暦の理由があります。毎月24日が地蔵菩薩の縁日とされており、そのなかでも旧暦7月24日はちょうどお盆の期間にあたっていました。もともとは旧暦7月24日に行われていた行事が、新暦になって月遅れの8月24日、そしてその前日である23日からの二日間へと移った——そう説明されるのが一般的です。
つまり地蔵盆は、お盆の締めくくりのような位置にある行事です。ご先祖さまを迎えて送ったあと、最後に、町のお地蔵さまと子どもたちのための日がやってくる。夏休みの終わりとも重なるので、関西で育った方にとっては「夏の最後の楽しみ」として記憶されていることが多いようです。
お地蔵さまが子どもを守るという信仰
地蔵菩薩は、古くから子どもの守り仏として信仰されてきました。とくに、幼くして亡くなった子どもたちを救ってくださる仏さまであるという信仰が広く伝わっています。道端のお地蔵さまが赤いよだれかけや前掛けをつけているのも、赤が魔除けの色とされ、子どもを守る色と考えられてきたからだと言われています。
だから地蔵盆は、大人が主役の法要ではありません。子どもが主役です。子どもたちがお地蔵さまの前に集まり、お菓子をもらい、遊ぶ。それ自体が供養であり、お祭りである、という考え方です。
提灯と、花と、お菓子
地蔵盆の準備として、一般的に行われるとされることを挙げてみます。
- お地蔵さまを洗い清め、地域によっては化粧を施したり、新しい前掛けをかけ替えたりする
- お地蔵さまのまわりに提灯や灯籠を飾る。地域によっては、その年に生まれた子どもの名前を書いた提灯を吊るす(女の子は赤、男の子は白などの区別があるとされます)
- 花や菓子、果物をお供えする
- 大きな数珠をみんなで回しながらお経を唱える「数珠繰り(じゅずまわし)」を行う
- ゲームや福引き、盆踊りなどの余興をして、子どもたちにお菓子を配る
ただし、これらは地域によってかなり違います。数珠繰りをしないところ、提灯の飾り方が違うところ、そもそも二日ではなく一日だけのところ。「地蔵盆とはこういうものです」と一つの形に決めてしまわないほうがいい行事です。町の数だけやり方がある、というくらいが実情に近いのだと思います。
花屋の目線でいちばん惹かれるのは、やはり提灯と花が同時に飾られることです。夕方、辻のお地蔵さまに提灯が灯り、その足元に花が供えられている。それも、大きな祭壇ではなく、道端の小さな祠に。あかりと花と子どもの声が、同じ場所にある。とてもいい光景だと思います。
東京では、あまり見かけません
ここは正直に書きます。桔梗屋のある東京では、地蔵盆はほとんど見かけません。
関東で育った方に「地蔵盆って知ってる?」と聞いても、「聞いたことはあるけれど、やったことはない」という答えが返ってくることがほとんどではないでしょうか。私も、写真や資料で知ってはいても、実際にその輪のなかに入ったことはありません。
なぜ東日本にあまり広がらなかったのか。よく説明されるのは、東日本では「道祖神(どうそじん)」が同じような役割を担っていたからという理由です。西日本では辻に地蔵が立ち、東日本では辻に道祖神が立つ。村の入口を守り、子どもを守る役目を、別の神さまが引き受けていた。だから、地蔵を囲むお祭りが根づかなかった——そう言われています。

知らない行事を「うちの町にもあります」とは書けません。でも、知らないからこそ紹介したい行事、というのはあるものです。
日本の行事は、全国一律ではありません。同じ8月23日でも、京都の路地では提灯が灯り、神楽坂の坂道ではいつも通りの日曜日が過ぎていく。そのばらつきごとが、この国の暦の豊かさなのだと思います。
道端のお地蔵さまと、誰が供えたか分からない花
地蔵盆がない土地でも、お地蔵さまはいます。東京の路地にも、坂の途中にも、小さな祠がぽつんと立っていることがあります。神楽坂を歩いていても、細い道に入るとふいに出会います。
そして、たいていそこには花が供えられているのです。
これは、花屋という仕事をしていると、どうしても目が行ってしまう風景です。誰が供えたのか分かりません。花の様子から、そう古くない——せいぜい二、三日前だろう、ということくらいは見当がつきます。けれど、次にその道を通ったとき、また新しい花に替わっている。
供えられている花は、たいてい素朴なものです。菊やヒサカキ、樒(しきみ)といった仏花の定番のこともあれば、季節の草花が無造作に一束、ということもあります。夏なら、庭で咲いたのだろうミソハギやケイトウが挿してあることも。誰かが、自分の家の庭から切ってきて、通りすがりに挿していったのだと分かります。
私はこの、「誰が供えているか分からないのに、絶えない花」という現象が、この国の花の使われ方のなかでいちばん美しいもののひとつだと思っています。
花束を贈るとき、私たちはたいてい「誰から誰へ」を明確にします。カードをつけ、名前を書き、手渡す。それは花の大事な役割です。けれど道端のお地蔵さまの花には、送り主も、宛名も、お礼を言われる予定もありません。ただ置かれて、枯れて、また置かれる。

(誰にも褒められないのに、ずっと続いてる花。いちばん強いやつだ……)
もし今度、お地蔵さまの前を通ることがあったら、花を少しだけ見てみてください。何が供えられているか、いつ替えられたか。その花は、あなたの町の誰かの手が、今もそこに届いていることの証拠です。
なお、地域によっては勝手なお供えを避けてほしい場所や、管理されている方の意向がある祠もあります。花を供えたいと思ったときは、まわりの様子を見て、無理をしないのが心得だと思います。
処暑のころ、店先の花が秋へ移りはじめます
処暑を過ぎると、市場に並ぶ顔ぶれが少しずつ変わってきます。ただし、入荷の時期は年ごとの天候や産地の状況でかなり前後しますので、「この日から必ずこれが入る」というものではないことは、先にお断りしておきます。
それでも、この時期にだんだん増えてくる花には、こんなものがあります。
- リンドウ——深い青紫。秋の入口を告げる代表格。日が当たると開き、曇ると閉じます
- ワレモコウ——小さな赤茶の穂。バラ科という意外な出自を持つ、和の名脇役
- ススキ・パンパスグラス——穂もの。動きが出るので、まっすぐな花と組むと空気が変わります
- ケイトウ——夏から秋にかけて。とくにセロシア系は秋色との相性が抜群
- ダリア——秋のダリアは色が深く、花もちも夏より落ち着きます
- コスモス——茎が細く水が下がりやすいので、扱いにひと工夫が必要な花
- キキョウ・オミナエシ・フジバカマ——秋の七草の面々。茶花としても愛されます
秋の茶花については、茶花の話——秋を待つ4つの花でもう少し詳しく書いています。「派手さで勝負しない花」の魅力を知りたい方は、あわせてどうぞ。
そしてもうひとつ、この時期ならではの楽しみが実もの・枝ものです。ノバラの実、サンキライ、ヒペリカム、そして先ほどのコットンフラワー。花が減っていく代わりに、実が増えていく。それが秋という季節の、いちばん分かりやすい変化です。
残暑の花のケア——水が下がりやすい季節のひと工夫
処暑を過ぎても、8月下旬の東京はまだ暑い。切り花にとっては、一年でもっとも厳しい時期が続いています。この時期にいちばん多いご相談が、「買ってきた日にもう首が垂れてしまった」というものです。
これを花屋の言葉で「水が下がる」と言います。茎の中の水の通り道に空気が入ってしまったり、暑さで蒸散が追いつかなくなったりして、水が上がらなくなる状態です。原因のほとんどは暑さと、切り口の状態のふたつ。
残暑の時期にやっておきたいこと
- 水の中で切る(水切り)——ボウルに水を張り、茎を沈めた状態で斜めにスパッと切ります。空気を吸わせないのが目的です
- 切れる刃物を使う——切り口をつぶすと水が上がりません。よく切れる花ばさみかカッターで、一息に
- 水に浸かる部分の葉は全部取る——葉が水に沈むと、そこから傷んで水が濁ります。夏はここが致命的です
- 水は少なめ、こまめに換える——夏は毎日換えるつもりで。花瓶のぬめりも指で洗い落としてください
- 置き場所は、直射日光とエアコンの風を避ける——窓辺の直射日光は花にとって過酷です。エアコンの風も乾燥のもと
- 元気がないときは深水(ふかみず)——新聞紙で花と茎をきつめに巻いて姿勢を支え、深いバケツに首まで水を張って、涼しい場所に一〜二時間。かなりの確率で戻ってきます
- 切り花延命剤を使う——夏は水が傷みやすいので、殺菌と栄養の両方が入った延命剤が特に効きます

持ち帰るあいだに弱ってしまうのですが、それは防げますか?

夏はお買い物の最後に寄っていただくのが一番です。ご遠慮なくおっしゃってください、保冷剤をお付けします。
夏場は、花を買ってから車内や鞄のなかで数十分置かれるだけで、ずいぶん体力を奪われます。買い物の最後に花屋へ寄る、保冷剤を頼む、帰宅したらすぐ水切りをする。この三つだけで、花もちはかなり変わります。
もっと詳しい手順は、切り花を長持ちさせる方法まとめにまとめてあります。夏の切り花で困ったら、こちらを開いてみてください。
8月23日は大安で、巳の日で——でも、暦は一つではありません
吉日の話も少しだけ。2026年8月23日という日は、暦のうえでいくつかの日取りが重なっています。
- 大安——六曜のうち、何事にも障りがないとされる日
- 巳の日(己巳の日)——十二支の巳にあたる日。とくに干支が己巳(つちのとみ)となる日は六十日に一度で、弁財天とご縁の深い日とされています
ここだけ読むと「ずいぶん良い日だ」ということになります。実際、この日を「最強の開運日」として紹介している暦のサイトもあります。
ところが、話はそう単純ではありません。同じ8月23日を「不成就日(ふじょうじゅび)」としている暦もあるのです。不成就日は八日周期でめぐってくる、何をしても成就しないとされる日。つまりこの日は、暦によって評価が真っ二つに割れているということになります。

良い日なのか、悪い日なのか、どっちなんでしょう……。
私の答えは、「どちらでもあり、どちらでもない」です。
六曜、十二支、選日、暦注下段。日本の暦には、出自も年代も体系もばらばらな「日取りの物差し」がいくつも重なっています。それぞれ別の計算式で回っているので、ある日を「良い」と言う物差しと「悪い」と言う物差しが同じ日に来ることは、まったく珍しいことではありません。
だから、暦は一つではないのです。「この日にやらないと損をする」も、「この日は何をしても無駄だ」も、どちらも言い過ぎだと思っています。暦は、私たちを追い立てるための道具ではありません。
花屋として、暦との付き合い方をひとつだけ挙げるなら、こうです。「良い日だと聞いたから、そういえば花でも買ってみようか」——そのくらいの、背中を押す小さなきっかけとして使う。
不成就日だと知って気が沈んでしまうくらいなら、その情報は見なくていい。逆に、大安だと知って何かを始める勇気が出るなら、大いに使ってください。暦のどの物差しを採るかは、結局のところ自分が心地よくいられるほうでいいのだと思います。
吉日と植物の関係については、吉日・暦カレンダーと植物まとめにひととおり整理してあります。年間の吉日を見渡したい方は、こちらをどうぞ。
処暑の先にある、二百十日
もうひとつだけ、暦の話を。処暑の期間の途中、2026年9月1日が二百十日(にひゃくとおか)にあたります。
二百十日は雑節のひとつで、立春から数えて210日目の日。ちょうど稲が花をつけ、実りはじめる時期であるうえに、台風が来やすい頃でもあることから、農家にとっての「厄日」として古くから警戒されてきました。八月ではなく九月の頭、というのがポイントです。
面白いのは、この日が七十二候の「禾乃登」(9月2日ごろ〜)とほぼ隣り合っていることです。「穀物が実る」と「風が荒れる」が、暦のうえでほとんど同じところに置かれている。喜びと不安が同居しているのが、この季節なのだと分かります。
そして9月1日は、防災の日でもあります。処暑から二百十日までのこの二週間は、夏の疲れをほどきながら、同時に秋の荒れに備える期間。ベランダの鉢を風の当たらない場所に寄せておく、支柱を確認しておく——植物を育てている方は、このあたりでひと手間かけておくと安心です。
🛒 残暑の花を、少しでも長く
💧 クリザール フラワーフード——水が傷みやすい時期こそ効きます
✂️ 坂源 ハンドクリエーション(花鋏)——水切りは、切れる刃物で
🌱 ハイポネックス 水あげ名人——水が下がってしまったときの応急処置に
おわりに——灯りと、花と、季節の変わり目に
処暑という言葉と、地蔵盆という行事を並べて眺めてみると、共通しているものがある気がします。
どちらも、過ぎゆく夏をきちんと見送るための仕掛けだということです。綿の実がほころび、天地が引き締まり、穀物が実る。町の辻に提灯が灯り、子どもたちが最後の夏休みを走り回る。派手なフィナーレではなく、静かに区切りをつけるための、小さな作法。
そのどちらにも、花があります。お地蔵さまの足元に置かれる名もない一束にも、家の食卓に飾る一輪にも、同じ役割があると私は思っています。「ここに、季節の変わり目がありましたよ」という目印です。

「秋らしいものを一本ください」でかまいません。その日の入荷から、いちばん季節が動いているものをお選びします。
桔梗屋は東京・神楽坂の花屋です。地蔵盆の提灯を飾ることはありませんが、処暑のころに秋の花が入りはじめるのは、この店も同じです。ご仏壇やお墓に供える花も、ご自宅に飾る一輪も、贈りものの花束も、ご相談いただければ季節に合わせてお選びします。
残暑の花は、少しだけ手をかけてあげる必要があります。持ち帰り方や飾り方でご不安があれば、遠慮なくお声がけください。花のいちばんいい状態を、できるだけ長くお届けするのが私たちの仕事です。
8月23日、処暑。今年の夏に、そっと区切りをつける日に。窓を開けて、夕方の光の色を確かめてみてください。きっと、少しだけ変わっているはずです。
KIKYOYA FLOWERS
東京・神楽坂の花屋 桔梗屋
季節のお花、観葉植物、贈りもののご相談を承っています。
ご自宅用の一輪から、お祝い・お供えのお花まで、どうぞお気軽に。

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