九月の下旬になると、夕方の空気がすっと変わります。日が落ちるのが早くなって、店の灯りをつける時間が少しずつ前倒しになる。同じ十七時なのに、八月の十七時と九月の十七時では、もう別の明るさです。
その変わり目のちょうど真ん中にあるのが、秋分です。二〇二六年の秋分の日は九月二十三日(水)。昼と夜の長さが入れ替わる日、と言われます。ただし「ぴったり同じ」ではありません。ここは間違えやすいところなので、この記事のなかできちんと説明します。
そしてもうひとつ。秋分は、植物にとって大きな切り替えの日でもあります。植物は温度だけで季節を知っているわけではありません。昼の長さという、もっと正確なものさしを持っています。菊が秋に咲くのも、コスモスが秋の花なのも、ポインセチアが冬に色づくのも、根っこにあるのはこの仕組みです。
この記事では、秋分という日そのものの話と、植物が季節を知る仕組み、そして秋分を境に変えていきたい手入れの話を、順番にお話しします。
秋分とは──太陽が「秋分点」を通る日
秋分は、二十四節気のひとつです。二十四節気というのは、一年を二十四に区切って季節に名前をつけた、古い暦のものさしのことです。立春、夏至、処暑、秋分……と続いていく、あの並びです。
そのなかで秋分は、天文学のことばで定義されています。国立天文台の説明によれば、空を大きく二本の線が走っていると考えてください。ひとつは黄道(こうどう)、太陽が一年かけて空を移動していくように見える道すじ。もうひとつは天の赤道、地球の赤道をそのまま空へ広げた線です。
この二本は、一年に二か所で交わります。春に交わる点が春分点、秋に交わる点が秋分点。太陽が秋分点を通過する瞬間を「秋分」と呼び、その瞬間を含む一日を「秋分日」と呼びます。つまり秋分とは、本来は日付ではなく、一瞬の出来事なのです。
この日、太陽はほぼ真東から昇って、ほぼ真西に沈みます。窓から入る光の角度が変わったと感じるのは、気のせいではありません。太陽の通り道そのものが、南へ傾いていく途中なのです。
秋分をひとことで
太陽が真東から昇り、真西に沈む日。ここから先、北半球では夜のほうが長くなっていきます。
「昼と夜が同じ長さ」は、じつは少しちがう
秋分の説明でいちばんよく見かけるのが、「昼と夜の長さが同じになる日」という一文です。ほとんど正しいのですが、厳密には正しくありません。実際には、昼のほうが十数分ほど長いのです。
国立天文台が挙げている例では、東京の春分の日で、日の出が五時四十五分、日の入りが十七時五十三分。昼の長さは十二時間八分、夜の長さは十一時間五十二分でした。秋分の日もほぼ同じで、昼のほうが十四分から十六分ほど長くなります。
十数分というのは、けっこうな差です。なぜこんなことが起きるのでしょうか。理由はふたつあります。
理由その一──「日の出」は太陽の上のふちで決めている
日の出とは、太陽のどこが地平線に届いた瞬間でしょうか。中心だと思っている方が多いのですが、じつは太陽の上のふち(上辺)が地平線と重なった瞬間が日の出、と決められています。日の入りも同じく、上のふちが沈みきった瞬間です。
太陽には見かけの大きさがあります。空に見える太陽の半径は、角度にして約十六分(一度の三分の一弱)。つまり中心が地平線に届くよりも、上のふちが顔を出すほうが先です。日の出は少し早まり、日の入りは少し遅れる。この定義だけで、昼の時間はぐっと水増しされます。
理由その二──大気が太陽を「浮き上がらせる」
もうひとつが大気差です。地球には空気の層があります。地平線の近くにある天体の光は、この空気の層を長く斜めに通ってくるあいだに屈折して、本来の位置よりも少し浮き上がって見えます。
国立天文台では、日の出・日の入りを計算するとき、この浮き上がりを三十五分八秒角として計算しています。角度の単位なのでピンと来にくいのですが、太陽の直径にほぼ匹敵する大きさです。
つまり、水平線に沈んでいく夕日を眺めているとき、本当の太陽はもう地平線の下にいます。私たちが見ているのは、空気のレンズごしに持ち上げられた太陽の像です。少しふしぎな話ですが、これが毎日起きています。
この「上のふちで決める」と「大気で浮き上がる」がふたつ重なって、昼のほうが十数分長くなる。だから秋分の日は、昼と夜がぴったり同じ日ではなく、ほぼ同じに近づく日と言うのが正確です。実際に昼と夜の長さが釣り合うのは、秋分から数日たったころになります。
覚えておきたい一点
秋分は「昼と夜がぴったり同じ日」ではなく、「昼と夜がほぼ等しくなり、ここから夜のほうが長くなっていく折り返しの日」です。
秋分の日が年によって動く理由
秋分の日は、九月二十二日のときもあれば、二十三日のときもあります。祝日なのに日付が固定されていない。これは日本の祝日のなかでも春分の日と秋分の日だけの特徴です。
理由は単純で、地球が太陽を一周するのに、ちょうど三百六十五日ではかからないからです。実際にかかるのは約三百六十五・二四二二日。一年ごとに約四分の一日ずつ、暦と天体の位置がずれていきます。
そのずれを埋めるのがうるう年です。四年に一度、二月に一日足して調整しています。ただしこれも完全ではありません。四年分のあまりは〇・二四二二×四で〇・九六八八日。うるう年で一日足すと、四十五分ほど足しすぎになります。この小さな行き過ぎと戻りが積み重なって、秋分の瞬間の時刻が年ごとに前後し、その結果、日付が二十二日になったり二十三日になったりするのです。
だからこそ、秋分の日は「毎年決め直す」しくみになっています。国立天文台が翌年ぶんの暦要項(れきようこう)をまとめ、前年の二月一日に官報へ掲載されることで、その年の秋分の日が正式に決まります。二〇二六年の暦要項も、二〇二五年二月に発表されました。
つまり、来年の秋分の日は、まだ「決まっていない」のではなく「もう決まっている」。しかも決めているのは役所の都合ではなく、地球の公転そのものです。カレンダーの一マスの向こうに天体の運行があると思うと、九月二十三日という数字が少し違って見えてきます。
二〇二六年の九月は四連休
九月二十日(日)、二十一日(月・敬老の日)、二十二日(火)、二十三日(水・秋分の日)。祝日と祝日にはさまれた二十二日が休日となり、四連休になります。庭やベランダの手入れをまとめてやるには、ちょうどいい並びです。
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」日
祝日法(国民の祝日に関する法律)は、秋分の日の趣旨を「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ」と定めています。春分の日が「自然をたたえ、生物をいつくしむ」であるのと、少し性格が違います。
この日が祝日になった経緯には、宮中の祭祀があります。秋分の日にはもともと秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)という、歴代の天皇や皇族の霊をまつる祭祀が明治期に定められていました。戦後の一九四八年、祝日法の制定にともなって皇霊祭という名の祝日はなくなり、宗教色をはずした「秋分の日」という国民の祝日に置きかわりました。名前は変わりましたが、亡くなった方をしのぶという性格は残った、という流れです。
お彼岸のこと
秋分の日を真ん中にして、前後三日ずつ、あわせて七日間が秋のお彼岸です。二〇二六年なら、九月二十日から二十六日まで。お墓参りをしたり、家のお仏壇に花を供えたりする方が多い一週間です。
お彼岸の作法やお供えの内容は、地域や宗派によって異なります。菊は必ず入れるという家もあれば、故人が好きだった花で自由にという家もあります。花屋としては、決まりごとを押しつけるより、その家のやり方を伺うことのほうが多いです。お彼岸そのものについては別に詳しくお話しする機会があるので、ここではこのくらいにしておきます。
秋分の七十二候──雷が黙り、虫が戸を閉じ、水が引く
二十四節気をさらに三つずつに割ったものが、七十二候(しちじゅうにこう)です。一つの候はおよそ五日間。二十四節気が季節の骨格だとしたら、七十二候はその日その日の表情にあたります。秋分の三つの候は、どれも「終わり」と「しまう」がテーマです。
初候・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)/九月二十三日ごろ〜二十七日ごろ
春から夏にかけて鳴りつづけた雷が、声をおさめる──そういう意味です。夕立と雷は夏の空気がつくるもので、その空気が入れかわれば、雷も静かになります。「収声」ということばの選び方が見事で、雷がなくなるのではなく、口を閉じる。また春になれば話しだす、という含みがあります。
じっさい、春分の初候は雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)です。半年をはさんで、発すると収める。七十二候はこういう対になっている候がいくつもあって、季節が円であることを思い出させてくれます。
次候・蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)/九月二十八日ごろ〜十月二日ごろ
夏じゅう活動していた虫たちが土のなかへもぐり、入り口をふさいで冬ごもりの支度を始めるころ。「蟄(ちつ)」はこもるという字で、春の啓蟄(けいちつ)と同じ字です。啓蟄で戸を開き、蟄虫坏戸で戸を閉じる。ここにも対があります。
庭やベランダでも、この時期は虫の顔ぶれが変わります。夏のあいだ葉を食べていた虫が減って、鉢の下や落ち葉のあいだに越冬しようとする虫が増える。鉢を持ち上げたときに何かが逃げていったら、そういう季節に入ったということです。
末候・水始涸(みずはじめてかるる)/十月三日ごろ〜七日ごろ
田んぼの水を抜いて、稲刈りに備えるころ。「涸れる」は自然に干上がるという意味だけでなく、人が水を落とすという含みもあります。収穫のために、あえて乾かす。
鉢植えの管理にも、じつはよく似た切り替えがあります。夏のあいだ毎日与えていた水を、少しずつ減らして、乾く時間をつくってやる。水を抜くことが次の季節の準備になるという点で、田んぼと鉢は同じことをしています。
植物は、どうやって季節を知るのか
ここからが、この記事のいちばん伝えたいところです。
植物には目もカレンダーもありません。それなのに、菊はほぼ毎年同じころに咲きます。気温だけをたよりにしているなら、暑い年と涼しい年で咲く時期がもっとばらついてもいいはずです。ところが実際には、かなり正確に季節を当ててくる。
その正体が光周性(こうしゅうせい)です。植物は昼と夜の長さを測っていて、それを季節のものさしにしています。気温は年によって荒れますが、日の長さは天体の運行そのものなので、毎年きっちり同じです。植物は、ぶれない方の時計を選んだわけです。
短日植物と長日植物
光周性による反応で、植物はおおまかに三つに分けられます。
- 短日植物……昼が短く(=夜が長く)なると花芽をつくる植物。菊、コスモス、ダリア、ポインセチア、アサガオなど。秋から冬にかけて咲くものが多く含まれます。
- 長日植物……昼が長く(=夜が短く)なると花芽をつくる植物。ホウレンソウ、アブラナ、カーネーション、ペチュニアなど。春から初夏に咲くものが多いです。
- 中性植物……昼の長さにあまり左右されず、株が育てば咲く植物。トマト、キュウリ、タンポポなど。
秋分は、この短日植物にとってのスイッチが確実に入る時期にあたります。夜が昼より長くなる折り返し点だからです。菊やコスモスが「秋の花」なのは、秋になったから咲くのではなく、夜が長くなったから咲く。順番が逆なのです。
じつは「昼の長さ」ではなく「夜の長さ」を測っている
もう少しだけ踏みこみます。短日植物・長日植物という名前は昼を基準にしていますが、植物が実際に測っているのは連続した暗い時間の長さだということがわかっています。
短日植物は、途切れない暗い時間がある一定の長さ(限界暗期)を超えると、花芽をつくり始めます。長日植物はその逆で、暗い時間が一定より短くなると花芽をつくります。つまり両者とも、見ているのは夜のほうです。
この違いが効いてくるのが、次の話です。
光を受けとっているのは葉
昼夜の長さを感じとっているのは、つぼみでも茎でもなく葉です。葉のなかにある色素タンパク質が、光が当たっているあいだと暗いあいだで形を変え、その状態の積み重ねが「夜が長かったかどうか」の記録になります。そして葉から芽へ、花をつくれという信号が送られます。
だから、夏に葉をひどく傷めてしまった株は、季節を測る精度も落ちます。秋に咲かないという相談を受けたとき、まず葉の状態を見るのはそのためです。花のことは、じつは葉の問題であることが多いのです。
夜の灯りが、花を狂わせる
植物が測っているのが「途切れない暗い時間」だとすると、困ったことが起こります。夜に光が当たると、そこで時計がリセットされてしまうのです。
短日植物では、夜のあいだにほんの数分間、光を当てただけで花芽の形成が妨げられることが知られています。夜どおし煌々と照らす必要はありません。途切れさせるだけで効いてしまう。
これが、身近な場所で実際に起きます。
- 街灯や防犯灯の真下……同じ列に植えたコスモスでも、街灯の下の株だけ咲かない、という現象が報告されています。
- 玄関灯・門灯……一晩中つけている家では、その光が届く範囲の鉢だけ様子が違うことがあります。
- 室内の照明……夜遅くまで明るいリビングの窓ぎわは、植物にとっては「夜が来ていない」場所です。
- 看板や自動販売機の明かり……店先の鉢植えでは、これがいちばん見落とされます。
農業の世界では、この性質を逆手にとって使います。菊の電照栽培がそれで、夜のあいだ電球をつけて暗い時間をわざと途切れさせ、花が咲くのを遅らせる。出荷したい時期に合わせて咲かせるための技術です。年じゅう菊が手に入るのは、この仕組みのおかげでもあります。
裏を返せば、家のベランダで意図せず電照栽培をしてしまっているケースがある、ということです。ポインセチアを買った翌年に赤くならない、という相談はとても多いのですが、原因の多くはここにあります。ポインセチアの赤い部分は花びらではなく葉(苞)で、これも短日で色づきます。夜のあいだ完全に暗くするという条件が満たされないと、緑のままになります。
秋にできる、いちばん簡単な工夫
秋に咲かせたい鉢(菊、コスモス、ポインセチアなど)は、夜のあいだ光が当たらない場所に移すか、街灯・玄関灯から離してみてください。位置を一メートル動かすだけで結果が変わることがあります。
なお、これはあくまで「花芽がつきやすくなる可能性がある」という話です。品種や株の若さ、その年の気候によっても変わるので、必ず咲くと約束できるものではありません。ただ、心当たりがあるなら試す価値のある一手です。
秋分を境に変えたい、五つの手入れ
秋分は、植物にとっても手入れにとっても切り替え点です。夏のやり方をそのまま続けると、かえって株を弱らせることがあります。順に見ていきます。
一.夏に傷んだ葉を、思いきって整理する
夏を越えた株は、たいてい下葉が黄ばんだり、葉先が枯れこんだりしています。見た目の問題だけではありません。傷んだ葉は光合成の役に立たないうえ、蒸れや病気の起点になります。
黄色くなった葉、枯れこんだ葉、風通しをふさいでいる混みあった枝を、手やハサミで整理します。目安として、緑がまだ残っている葉は残す。少しでも働いてくれる葉は、季節を測るセンサーでもあるからです。
二.切り戻しの適期に入る
伸びすぎて姿がくずれた草花は、この時期に切り戻しをします。切り戻しとは、茎を途中で切って短くし、わき芽を出させて全体をコンパクトに整える作業のことです。
目安は、株全体の高さの三分の一から半分ほど。切る位置は、葉のつけ根(節)の少し上です。何もない茎の途中で切ると、そこから枯れこむことがあります。
切り戻すと新しい芽が動き出し、秋にもう一度花を見られることがあります。ダリアのように、秋の花を美しく咲かせるためにあえて切り戻す植物もあります。ただし、これから花芽をつくろうとしている株を深く切ると、その年の花を落としてしまいます。つぼみが見えている株は、姿を整える程度にとどめてください。
三.肥料は「効かせる相手」を考える
秋の追肥は、春の追肥とは目的が違います。春は伸びるための肥料ですが、秋は、咲くための肥料と、冬を越すための肥料です。
- これから咲く草花……液体肥料を規定どおりに薄めて、十日から二週間に一度ほど。効きが早いので、咲かせたい時期に合わせやすいです。
- 宿根草や庭木……ゆっくり効く粒状の肥料を株元に。冬を越すための体力づくりが目的なので、急がせる必要はありません。
- 弱っている株……肥料より先に、環境を整えます。根が傷んでいるところに濃い肥料を入れると、さらに傷めます。
量は「多めに」ではなく袋の表示どおりが原則です。秋は根が動く時期なので、効きすぎると徒長して、かえって寒さに弱い姿になります。
四.水やりの回数を、静かに減らす
秋分を過ぎると、日照時間が短くなり、気温も下がって、土の乾くスピードが目に見えて落ちます。夏と同じ回数で水をやり続けると、土がずっと湿ったままになり、根が呼吸できずに傷みます。秋に株を枯らす原因として、水切れより水のやりすぎのほうが多いくらいです。
回数をカレンダーで決めるのではなく、土を見て決めるように切り替えてください。
- 指を第一関節まで土に入れて、湿り気がなければ水やり。これがいちばん確実です。
- 鉢を持ち上げて軽さで判断するのも有効です。水やり直後の重さを一度覚えておくと比べられます。
- 時間帯は午前中へ。夏の夕方から、秋は朝に移します。夜に濡れたまま冷えるのを避けるためです。
- 受け皿の水は捨てる。乾きが遅い季節ほど、溜め水が効いてきます。
五.植え替えの適期がやってくる
真夏は、植え替えを避けるべき時期でした。理由は根です。植え替えでは、多かれ少なかれ根を傷めます。ところが真夏は、葉から水がどんどん出ていく一方で、傷んだ根は水を吸えない。吸う力より失う力が上回って、株が一気にしおれてしまうのです。しかも高温では、切り口から病気も入りやすくなります。
秋はその条件が反転します。気温が下がって葉から失う水が減り、地温はまだ十分に高いので根は動く。おおむね九月下旬から十一月上旬が、多くの草花や宿根草の植え替え・植えつけの適期です。
秋に植えると、冬のあいだに根が静かに広がり、春の芽吹きのときに使える根の量がまったく違ってきます。春に植えた株と秋に植えた株では、翌年の育ちに差が出る。急ぐ必要はありませんが、この秋にやっておく価値はいちばん大きい時期です。
作業のときのコツをいくつか。
- 根鉢はくずしすぎない。まわりの古い土を軽く落とす程度で十分です。
- 黒く傷んだ根は取り除き、白い根は残す。
- 植えつけたらたっぷり水を与えて、土と根を密着させます。
- 植え替え直後の肥料は控えめに。根が落ち着いてから追肥します。
あわせて──秋まきの種と、球根の準備
種まきの季節でもあります。秋にまく種は、寒さのなかでゆっくり根を張り、春にいっせいに咲きます。まく時期の目安は、暑さがおさまり、最高気温が二十五度を下回るころ。九月下旬から十月にかけてが中心です。まいたあとは、発芽するまで土を乾かさないことがいちばんのポイントです。
球根はもう少し待ちます。園芸店には九月から並びはじめますが、植えるのは涼しくなってからです。
- チューリップ……十月から十一月ごろ、気温が十五度前後に下がってから。早く植えすぎると、地温が高いうちに根や芽が動いて病気が出やすくなります。関東なら十一月に入ってからでも遅くありません。
- スイセン……チューリップより早めで、九月下旬から十一月ごろ。とくに早咲きのニホンズイセンは、九月下旬から十月上旬に植えると開花に間に合いやすいです。
買ってから植えるまでのあいだは、風通しのよい涼しい日陰で、袋から出して保管します。ビニール袋に入れっぱなしにすると、蒸れて傷みます。地域によって適期はずれるので、寒い土地なら早め、暖かい土地なら遅めに、と覚えておいてください。
秋分のころに出回る花
店先の顔ぶれも、九月の後半でがらりと入れかわります。夏の花の色が、いっせいに落ち着いた方向へ動く時期です。
- りんどう……深い青紫。秋のお彼岸から十月にかけての主役のひとつで、花もちがよく、まっすぐな姿が束にしやすい花です。
- 吾亦紅(われもこう)……赤茶色の小さな穂。派手ではないのに、一本入るだけで束全体が秋の顔になります。
- 鶏頭(けいとう)……ビロードのような質感の赤やオレンジ。実物を見ると、名前の由来(鶏のとさか)に納得します。
- 菊……輪菊から小菊、スプレー咲きまで幅が広く、色数も豊富。仏花のイメージが強い花ですが、洋花と合わせても品よくまとまります。
- コスモス……揺れる茎ごと生けたい花。切り花としては水あげがやや繊細なので、深水で休ませてから使います。
- ダリア……秋のダリアは、夏より色が濃く、花もちも比較的よくなります。一輪で主役が張れる花です。
- ススキ……穂の質感が加わるだけで、束に風が通ります。中秋の名月まわりによく出ます。
- 秋明菊(しゅうめいぎく)……菊の名がついていますが、アネモネの仲間。細い茎の先で花が揺れる姿が涼やかです。
- ホトトギス……花びらの斑点が鳥の胸の模様に似ていることから、この名前。和の設えによく合います。
色の傾向としては、赤、えんじ、山吹、紫、そしてくすんだ緑。夏の白と水色が引いて、暖色と深い色が戻ってきます。夜が長くなるぶん、灯りの下で見る時間が増える。その灯りに映えるのは、じつはこういう深い色のほうです。
夜が長くなることを、楽しむ
秋分を過ぎると、日が短くなっていきます。これを寂しいと感じる方は多いですし、実際、夕方の暗さは少し人の気持ちを静かにさせます。
けれども、日が短くなるということは、灯りをつけている時間が長くなるということでもあります。花にとっては、これがなかなか大きな変化です。昼の自然光の下で見る花と、夜、電球の下で見る花は、まるで別の花に見えます。りんどうの青は電球の下で沈み、鶏頭の赤やダリアの深い色は逆に艶を増す。白い花は、夜のほうがよく浮かびます。
だから秋の花選びには、「どの時間に見るか」という視点を足してみてください。朝に見ることが多い玄関なら、明るい色。夜、食卓で見ることが多いなら、白か、深い赤。同じ予算でも、満足度がずいぶん変わります。
そしてもうひとつ。夜が長くなるということは、植物にとっては信号が届く時間が長くなるということでした。人が灯りをともす時間と、植物が季節を数える時間が、ちょうど反対を向いている。秋分は、その二つがすれ違いはじめる日でもあります。
九月二十三日。太陽が真東から昇って真西に沈み、そこから先は夜が長くなっていきます。庭やベランダの鉢を一度ぜんぶ見回して、傷んだ葉を整理して、水やりの回数をひとつ減らす。それだけで、来年の春の姿が変わってきます。
暦の折り返しは、手入れの折り返しでもあります。夕暮れの早くなった時間に、ゆっくりやってみてください。
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