「桔梗屋」の名前の由来でもある桔梗(キキョウ)。青紫の凛とした星形の花は、日本人に古くから愛されてきました。今日はこの神秘的な花の歴史をたどります。

桔梗は「我が家の花」。星形の花を見るたびに、お店の名前を選んでよかったなと思います。
⭐ 桔梗紋の歴史
桔梗の家紋(桔梗紋)を使った代表的な人物:
- 明智光秀(土岐桔梗紋):「敵は本能寺にあり」の戦国武将
- 安倍晴明(五芒星=桔梗紋):平安の陰陽師
- 太田道灌:江戸城を築いた武将

安倍晴明の五芒星って、桔梗の花を上から見た形なんだよ!知ってた?
🌸 万葉集にも詠まれた花
桔梗は秋の七草のひとつ。万葉集の山上憶良の歌「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」の「朝貌の花」は桔梗のこととも言われます。
🌸 「桔梗屋」という屋号——曾祖父から孫へ、時代を越えて掲げ直した物語
ここから先は、東京・神楽坂の花屋「桔梗屋」の屋号にまつわる、私(店長)と家族の小さな物語をお話しさせてください。「桔梗屋」というこの三文字には、戦前の曾祖父の店の記憶と、戦争で一度途絶えた屋号を、孫の私の代でもう一度掲げ直した夢が込められています。

店長、桔梗屋って屋号、すごく素敵ですよね。何かルーツがあるんですか?

ありますよ。実はこの名前、戦前に私の曾祖父が使っていた屋号なんです。戦争で一度途絶えたんですが、ひ孫の私が花屋として再び掲げ直しました。今日はその話を、少しだけ。
👘 始まりは戦前——新宿区改代町の古着屋「桔梗屋」
私の曾祖父が、戦前に新宿区改代町(かいたいちょう)で古着屋「桔梗屋」を営んでいました。当時、街には個人の小さな店が立ち並び、桔梗屋もそのひとつとして、地域の方の暮らしを支えていたそうです。
祖父も小さい頃は、その古着屋を手伝っていたと聞きました。改代町の街で、曾祖父と並んでお客様を迎える祖父の少年時代——想像するだけで、温かい気持ちになります。
🔥 戦争で焼かれた街、板橋への疎開
しかし、戦争が街を変えました。改代町が焼け野原になる前に、祖父は東京都の板橋へ疎開。曾祖父の桔梗屋も、空襲の炎の中で姿を消したと聞いています。
戦後、街は少しずつ復興しましたが、桔梗屋という古着屋は再開されませんでした。祖父はその後、商売とは別の道を選びました。私が物心ついた頃には、祖父は中小企業診断士・社会保険労務士として、士業の道を歩んでいました。

お祖父様、ぜんぜん違うお仕事に進まれたんですね…

はい。父もサラリーマンとして勤め人の道を歩みました。桔梗屋という屋号は、家族の中で「昔こんなお店があった」という物語としてだけ語り継がれていったんです。
🎏 祖父母の家に眠る、戦前の暖簾
でも、屋号にまつわる宝物が、ひとつだけ祖父母の家に残されました。それは、戦前の桔梗屋が使っていた暖簾(のれん)。空襲の前、板橋に疎開する時に、祖父が大切に持ち出したものだと聞いています。
すり切れ、色褪せ、それでも「桔梗屋」の文字がしっかりと残るその暖簾を、子どもの頃から何度も目にしてきました。「いつか、これを自分の店で掛けたい」——その想いは、私の中でずっと静かに育っていきました。

え、その暖簾、まだあるんですか…!

はい。祖父母の家の押し入れに眠っています。さすがに毎日使うには傷みすぎているけれど、何か特別な日には店先に掛けたいなと、ずっと夢見ているんです。
📚 学生時代——「独立したら、屋号は桔梗屋」
小さい頃から祖父に、改代町の桔梗屋の話を何度も聞いて育ちました。曾祖父の人柄、戦前の街の雰囲気、空襲の前夜——。祖父の語る物語は、私の中で「いつか叶えたい夢」として育っていきました。
学生時代、まだ将来の仕事も決まっていないのに、ひとつだけ決めていたことがあります。「自分が独立して何か事業を始めるとき、屋号は絶対に『桔梗屋』にする」。花屋になるなんて、その時はまだ考えてもいませんでした。

屋号だけ先に決まっていた、ということなんですね!

はい。仕事は何でもよかったんです。本屋でも、定食屋でも、雑貨屋でも。でも屋号は桔梗屋——それだけは、自分の中で揺るぎませんでした。戦争で途絶えた屋号を、自分の代でもう一度掲げたい。それが学生時代からの夢でした。
🌱 30歳から3年——花屋への道
人生のいろいろな経験を経て、私が花の世界と出会ったのは30歳の頃。そこから3年間、花屋で修行を積みました。仕入れ、水揚げ、アレンジ、配達、接客——朝から晩まで花と向き合う日々。
修行中、何度も曾祖父のことを思い出しました。「曾祖父はどんな気持ちで古着を仕入れていたのだろう」「お客様と、どんな会話をしていたのだろう」——。時代も商売も違うけれど、「街の人の暮らしを支える小さな店」という根っこは同じだと、感じていました。
🏡 開業——練馬区関町南で「花屋・桔梗屋」
修行を終え、私はついに自分の店を持ちました。場所は練馬区関町南。屋号はもちろん、子どもの頃からの夢だった「桔梗屋」です。
地元の方に支えられ、毎日お花と向き合う日々。お客様一人ひとりとの会話を大切にしながら、街の小さな花屋として歩み始めました。戦前に途絶えた屋号「桔梗屋」が、孫の代でようやく再び動き出した瞬間でした。

ぼくたち植物にとっても、新しい桔梗屋のスタート、すごく嬉しい日だったんだよ!

開店初日は、本当に手が震えていたのを覚えています。「桔梗屋」の看板を、自分の手で掲げる日が来た——空襲で消えた屋号を、もう一度掲げ直せた瞬間でした。
🌸 5年目の壁、そして神楽坂へ
関町南の桔梗屋を始めて5年。お店は地元の方に愛されながらも、売上は伸び悩んでいました。「このままで続けられるのか」「自分の選択は正しいのか」——夜、お店を閉めた後に、何度も自問しました。
そんな時、業界の先輩から「神楽坂で物件があるんだけど、興味ないか」と声をかけていただいたのです。最初は「東京の中心、そんな場所で…」と尻込みしました。でも、現地を見に行って、街の空気を感じた瞬間に、「ここでやりたい」と心が決まったのです。

先輩からのお声がけ、嬉しいですよね。

本当に救われました。商売って、人とのご縁で動いていくんだなと、心から実感した出来事でした。
⛩️ 神楽坂と改代町——曾祖父との不思議な再会
神楽坂に移転して、しばらくしてからのことです。地図を眺めていて、ふと気付きました。「あれ?曾祖父の改代町、すぐそこじゃないか…!」
神楽坂から大久保通りを北西に少し歩けば、もうそこは改代町。歩いて10分ちょっと。曾祖父が桔梗屋を構えていた土地のすぐそばに、孫の私が花屋・桔梗屋を構えていた。これはもう、偶然ではないと感じました。

鳥肌が立ちますね…!何か運命的な力が働いているような。

はい、神楽坂で店を続けるたびに、曾祖父が見守ってくれているような気がしています。「桔梗屋という名前と、この場所が呼んでくれたのかな」と。
🌳 そして3年前——文京区関口に2号店「江戸川橋店」
神楽坂で店が育っていく中、3年前に2号店を出すことを決めました。場所は文京区関口、江戸川橋。神楽坂からも歩いて行ける距離で、神田川沿いの落ち着いた街並みが魅力の土地です。
「桔梗屋 江戸川橋店」——2号店を出すことは、夢の延長線上にあったわけではありません。お客様に支えられ、自然と背中を押していただいた結果です。戦争で一度消えた桔梗屋が、令和の今、東京に2店舗を構えるとは、誰が想像したでしょうか。

1号店と2号店、街は違うけど、根っこは同じ「桔梗屋」。素敵な広がり方だね!
🌸 これからの桔梗屋——途絶えた屋号を、未来へつなぐ
桔梗の家紋は、明智光秀や安倍晴明が選んだ星形の青紫。歴史の中で、多くの人がこの花に惹かれてきました。そして私の曾祖父も、この花の名前を屋号にした。なぜかは、もう聞くことができません。でも、その想いを、私は引き継いでいきたい。
祖父母の家に眠る戦前の暖簾。いつかこれを店先に掛ける日が、桔梗屋にとっての本当の節目になるかもしれません。戦争で一度途絶えた屋号を、孫の代で掲げ直し、これから先の時代へとつないでいく——それが、私の役目だと思っています。

桔梗屋に足を運んでくださる皆さま、ぜひ屋号の裏にあるこの物語を、ふと思い出していただけたら嬉しいです。お花を選ぶ手の奥には、いつも曾祖父の代から続く想いと、戦争を超えてもう一度掲げ直した屋号への祈りが込められています。
🌸 桔梗屋からのご案内
東京・神楽坂の花屋・桔梗屋では、季節のお花・観葉植物・ご贈答用アレンジメントを取り扱っています。
🌺 桔梗屋WEBサイトへ
※本記事は伝統的な暮らし文化・植物の楽しみ方を紹介するもので、特定の効果・効能を保証するものではありません。


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