東洋医学では、季節と体の働きが深く結びついていると考えられてきました。春は「肝(かん)」の季節。新緑が芽吹くこの時季は、体の中でも「巡らせる力」が活発になる時期だと、古くから言い伝えられてきました。
東京・神楽坂の花屋・桔梗屋が、5月の暮らしと植物の関係を、東洋思想の視点でやさしくご紹介します。
5月は、一年のなかでもとりわけ植物が勢いづく月です。街路樹の葉は日に日に厚みを増し、花屋の店先には芍薬(しゃくやく)のかたい蕾が並び、道ばたのよもぎは背丈を伸ばしていきます。ところが不思議なもので、外の世界がいちばん元気になるこの時季に、なぜか人のほうは「なんとなく疲れる」「気持ちが落ち着かない」と感じることが少なくありません。連休が明けたころ、急に体が重くなった——そんな覚えのある方も多いのではないでしょうか。
東洋医学は、この「ちぐはぐさ」を偶然だとは考えません。自然が伸びていく季節には、人の中でも同じように「伸びよう、巡ろう」とする力が高まる。その勢いにうまく乗れたときは軽やかに過ごせるけれど、乗りそこねると内側で行き場を失って、目や心や睡眠に出てくる——そんなふうに読み解いてきました。この記事では、その考え方の土台になっている五行(ごぎょう)という枠組みから順に、専門用語をひとつずつ噛み砕きながらご案内していきます。

「5月病」って、実は東洋医学的にも理にかなった言葉なんですよ。新生活の緊張と、肝の季節の高ぶりが重なる時季ですから。
はじめにお読みください
この記事は、東洋思想や暦の文化を暮らしのなかで楽しむための読みものです。病気の診断や治療について述べるものではなく、植物や食べものの薬効をうたうものでもありません。紹介している考え方は「東洋医学ではこう考えられてきた」という伝統的な見方であり、効果を保証するものではありません。体調がすぐれないとき、症状が長引くとき、気分の落ち込みが続くときは、我慢せず医療機関にご相談ください。持病のある方、お薬を服用中の方、妊娠中・授乳中の方は、食生活を変える前に必ず主治医や薬剤師にご確認ください。
🌿 五行で読み解く「春=木=肝」
陰陽五行説では、春は「木」の季節とされ、体の中では「肝」と結びつくと考えられてきました。肝は単に肝臓の意味ではなく、東洋医学では「気(エネルギー)の流れを巡らせる働き」全般を指します。
春に芽吹く植物のように、体の中の気も「上へ、外へ」と活発に動き出す時季。だからこそ、巡りが滞ると体や心に不調が出やすいと言われてきました。
そもそも「五行」とは何でしょうか
五行とは、古代中国で生まれた自然観で、この世界のあらゆるものを木(もく)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)という五つの性質に分けて考えるという枠組みです。「木でできている」「火が入っている」という物質の話ではなく、「木のようなふるまいをするもの」「火のようなふるまいをするもの」というグループ分けだと考えると分かりやすくなります。
たとえば「木」の性質とは、まっすぐ上へ、そして横へと伸びていく力。芽が土を押し上げ、枝が四方へ広がっていくイメージです。「火」は燃え上がって上へ向かう性質、「土」は受けとめて育む性質、「金」は引き締めて内へ収める性質、「水」は下へ流れ、静かに蓄える性質——といった具合です。
そしてこの五つに、季節・色・味・体の部位などを対応させていきます。整理すると次のようになります。
- 木:季節=春/五臓=肝/色=青・緑/味=酸味/体の出口=目
- 火:季節=夏/五臓=心/色=赤/味=苦味/体の出口=舌
- 土:季節=長夏(夏の終わり・季節の変わり目)/五臓=脾/色=黄/味=甘味/体の出口=口
- 金:季節=秋/五臓=肺/色=白/味=辛味/体の出口=鼻
- 水:季節=冬/五臓=腎/色=黒/味=鹹味(かんみ・塩からさ)/体の出口=耳
この表を眺めていると、「春・木・緑・酸味・目」が一本の線でつながっているのが見えてきます。春に緑が萌え、酸っぱい若い実がなり、まぶしさに目を細める——季節の実感と、体で起きやすいことを、ひとつのグループにまとめて記憶しやすくした知恵、と考えるとしっくりきます。
なぜ春が「木」で、「肝」なのか
東洋医学の古典『黄帝内経(こうていだいけい)』では、春の三か月を「発陳(はっちん)」と呼びます。冬のあいだ静かにこもっていたものが、いっせいに外へ出て、古いものを押し出しながら新しく伸びていく——そんな季節だという意味合いです。土から芽が出て、虫が動きはじめ、動物が巣穴から出てくる。その勢いそのものが「木」の性質にほかなりません。
人の体も自然の一部ですから、同じように「気」が内から外へ、下から上へと動き出す時季だと考えます。そして体の中でその「動かす・巡らせる」役割を担うとされてきたのが「肝」です。だから春は肝の働きがいちばん活発になる。同時に、いちばん負担がかかりやすく、乱れが表に出やすい季節でもある——というのが「春=木=肝」という対応の中身です。
『黄帝内経』の春の養生としてよく引かれるのは、夜は少し遅めでも、朝は早く起きて、髪をゆるめ、体をゆったりさせ、庭をゆっくり歩くといった内容です。そして「生かして殺さず、与えて奪わず、褒めて罰せず」——芽を摘まないように、自分にも他人にもやわらかく接しなさい、という趣旨のことが説かれています。つまり春の養生の中心は、食べものよりもまず「締めつけないこと」だと読み取れます。伸びようとしている芽を、上から押さえつけない。それが木の季節の過ごし方だという考え方です。
五行はお互いに助け合い、抑え合う
五行にはもうひとつ、覚えておくと面白い仕組みがあります。五つはばらばらに存在するのではなく、お互いを生み育てる関係(相生・そうしょう)と、お互いを抑える関係(相克・そうこく)で結ばれている、という考え方です。
- 相生:木が燃えて火を生み、火の灰が土になり、土から金属が生まれ、金属の表面に水が結び、水が木を育てる——という循環。
- 相克:木は土の養分を吸い、土は水をせき止め、水は火を消し、火は金属を溶かし、金属(斧)は木を切る——という抑制の関係。
春の養生でこの相克が出てくるのが、「木は土を抑える」という部分です。木=肝が勢いづきすぎると、土=脾(ひ・消化吸収の働きを指します)に負担がかかると考えられてきました。春先にお腹の調子がゆらぎやすい、食欲が安定しない、という話が東洋医学でよく語られるのは、この関係から説明されています。後半の食養生のところで、もう一度この話に戻ってきます。
🩺 東洋医学の「肝」は、西洋医学の肝臓とイコールではない
ここが、東洋医学の話でいちばん誤解の多いところです。「春は肝の季節」と聞くと、多くの方が「お酒を控えなきゃ」「肝機能の数値が心配」と思い浮かべます。けれど東洋医学でいう「肝」は、臓器としての肝臓そのものを指す言葉ではありません。
東洋医学の五臓(肝・心・脾・肺・腎)は、解剖学的な臓器の名前を借りてはいるものの、実際に指しているのは「体の中で働いているひとまとまりの機能」です。現代の言葉に置きかえるなら、臓器そのものよりも「システム」「担当部署」に近い考え方だといえます。ですから「肝が高ぶっている」と言われても、それは肝臓の検査値が悪いという意味ではありません。逆に、検査で何の異常もなくても「肝の巡りが滞っている状態」と表現されることがあります。この二つは別のものさしなのだ、と切り分けておくと混乱しません。
「肝」が担うとされる五つの働き
中医学の基礎では、肝の働きはおおよそ次のように整理されています。いずれも「東洋医学ではこう考える」という伝統的な理論であり、現代医学の生理学とは体系が異なります。
- 疏泄(そせつ)を主る……気・血・水を全身にのびのびと巡らせ、感情の落ち着きにも関わるとされる働き。肝のいちばんの役目とされます。「疏」は通す、「泄」は行きわたらせる、という意味です。
- 血を蔵(ぞう)す……血をたくわえ、活動量に応じて必要なところへ送り出す働きとされます。休んでいるときは肝に血が戻り、動くときに送り出される、と説明されます。
- 筋(きん)を主る……筋肉やすじ、関節のしなやかさに関わるとされます。肝の血が足りると筋はのびのび動き、足りないとこわばりやすいと考えられてきました。
- 爪に華(はな)す……爪は「筋のあまり」とされ、肝の状態が爪のつやや丈夫さに映ると考えられてきました。
- 目に開竅(かいきょう)する……肝の状態が、体の外へ通じる窓として目に現れるとされます。次の章でくわしくご紹介します。
五つ並べてみると、共通しているのは「なめらかであること」「行きわたること」だと分かります。気持ちがのびやか、血がめぐる、筋がしなやか、目がうるおう。どれも「詰まっていない」状態です。だから東洋医学では、春の不調をひとことで「滞り」として捉え、養生の方向を「巡らせる」に定めます。
「気滞(きたい)」という言葉を知っておくと便利です
漢方の本でよく出てくる「気滞」は、気の巡りが滞った状態を指す言葉です。もう少し肝に寄せて「肝気鬱結(かんきうっけつ)」と呼ばれることもあります。伝統的な説明では、ため息が増える、胸やわき腹が張った感じがする、喉に何か引っかかるような感じ、気分が晴れない、といった状態がここに含まれるとされます。
面白いのは、この「滞り」に対して漢方が用いてきたのが、陳皮(ちんぴ・みかんの皮)、蘇葉(そよう・赤じその葉)、薄荷(はっか・ミント)といった、いずれも香りの立つ植物だという点です。これらは「理気薬(りきやく)」——気を巡らせる働きを持つとされるグループに分類されています。香りは巡りをうながすという発想が、生薬の分類そのものに刻まれているわけです。これは後半の「香りの植物を暮らしに置く」という話に、まっすぐつながっていきます。
なお、ここに挙げた生薬名はあくまで分類の考え方を紹介するためのものです。ご自身の判断で生薬を使ったり、市販の漢方薬を選んだりする際は、必ず薬剤師や登録販売者、医師にご相談ください。
😪 春から初夏に出やすい不調を、東洋医学はどう読むか
ここからは、5月ごろによく話題になる「なんとなくの不調」を、東洋医学の枠組みではどう説明してきたのかを見ていきます。診断ではありませんし、同じ症状でも原因はさまざまです。「昔の人はこう考えたのか」という読みものとしてお楽しみください。気になる症状が続く場合は、必ず医療機関を受診してください。
目が疲れる・かすむ・乾く
「肝は目に開竅する」という考え方から、目のトラブルは肝と結びつけて語られてきました。肝にたくわえられた血がじゅうぶんであれば目はうるおい、足りないと乾きやかすみが出やすい、という説明です。春は外へ出る機会が増え、日ざしが急に強くなり、花粉や乾いた風にもさらされる時季。「肝が忙しくなる季節に目のことが起きやすい」という経験則が、理論として整理されたものと読むこともできます。
イライラする・怒りっぽくなる
五行では、感情もまた五つに割りふられます。肝に対応する感情は「怒」。心には「喜」、脾には「思」、肺には「憂・悲」、腎には「恐・驚」が当てられます。肝は疏泄——のびやかに通す働きを担うとされるので、それが行き詰まると「通らないいらだち」として表に出る、というのが伝統的な読み方です。
ここで大切なのは、東洋医学は怒りを「悪いもの」として否定していないという点です。出るべきものが出ずに、内にたまることのほうを問題にしています。だから対処も「怒らないようにする」ではなく、「気が通る道をつくる」——歩く、伸びをする、深く息を吐く、話す、香りをかぐ、といった方向に向かいます。
顔がほてる・のぼせる・頭が重い
気は本来、上へ行ったら下へ戻る、という循環をするものだと考えられています。春は「上へ、外へ」の勢いが強くなる季節ですから、上がったものが降りてこない状態になりやすい、と説明されます。顔だけ熱い、頭がぼんやり重い、目が充血する、肩から上に力が入る——こうした状態は「気が上のほうに偏っている」と読まれ、養生の方向は「降ろす」になります。ゆっくり長く息を吐く、足首から下をあたためる、足元をよく動かす。上半身ではなく下半身に意識を向けるのがこの季節の要点、というのが伝統的な考え方です。
寝つきが悪い・夜中に目が覚める
「肝は血を蔵す」の考え方では、横になって休むと血は肝に帰るとされます。逆にいえば、夜になっても気が高ぶって上へ向かったままだと、休息のモードに切り替わりにくい、と説明されます。5月は日の入りが遅くなり、外が明るいうちに一日が終わらない感覚になりやすい時季でもあります。
暮らしの工夫としては、寝る前の一時間は照明を落とす、手元だけの明かりで過ごす、湯船につかって足元をあたためる、といったあたりが「気を降ろす」方向に沿った過ごし方になります。枕元に強い香りを置くのは、かえって刺激になることもあるので、香りは日中や夕方に楽しむほうが向いています。
日中の眠気——「春眠暁を覚えず」の季節
唐の詩人・孟浩然(もうこうねん)の詩「春暁」の一節「春眠暁を覚えず」は、春の眠さを言い当てた言葉として千年以上読み継がれてきました。東洋医学の側では、冬のあいだ内にこもっていた気が、春になって外へ向かって働きはじめる——その切り替えに体が追いつかない時期があると考えます。エンジンをかけ替えている最中はどうしても効率が落ちる、というイメージです。
この時季の眠気は、無理に叩き起こすより短く昼に休みを入れて、そのぶん夜の眠りを深くするほうが理にかなっている、とされます。ただし、日中の強い眠気が長く続く場合や、日常生活に支障が出る場合は、季節のせいと決めつけずに医療機関にご相談ください。

ぼくたちも春はぐんぐん伸びるけど、根っこはちゃんと下に向かってるんだ。上ばっかり見てると倒れちゃうからね。
👀 「肝は目に開竅する」——目と緑のふしぎな関係
「開竅(かいきょう)」とは、聞き慣れない言葉ですが、「穴が開いて外とつながっている」という意味合いです。五臓はそれぞれ、体の表面に自分の「窓」を持っているという考え方で、肝の窓が目、心の窓が舌、脾の窓が口、肺の窓が鼻、腎の窓が耳、と対応づけられています。
つまり東洋医学では、目は「見るための器官」であると同時に、内側の状態が外に現れる場所でもある、と捉えられてきました。目のうるおい、白目の色、まぶたの重さ、視界のかすみ——そうした変化を、肝の状態を推し量る手がかりとして読んだわけです。
「緑を見ると目が休まる」は、五行とも重なります
五行では、木=肝に対応する色は「青」です。古い日本語の「あを」がそうであるように、東洋の「青」は青と緑をまとめて指す幅の広い色で、若葉の色もここに含まれます。ですから「肝の季節には青・緑を」という養生は、新緑の色を暮らしに入れることと同じ意味になります。
現代の私たちの目は、近い距離の画面を長時間見つづけることが多くなりました。窓の外の木を見る、机の上の観葉植物に目を移す、というのは、目の使い方に「遠くを見る」「ぼんやり見る」という別のモードを混ぜることでもあります。東洋医学の理屈とは別の説明になりますが、結果として同じ行動にたどりつくのは面白いところです。難しく考えず、一時間に一度、机から二メートル以上離れた緑に目を移す——それくらいの気軽さで十分です。
ちなみに、鉢を置く高さも少しだけ工夫の余地があります。座ったときの目線と同じか、やや高い位置に葉が来るように置くと、自然に視線が上がって首の後ろがゆるみます。足元に置くと、下を向く姿勢がさらに増えてしまうので、この季節はぜひ「目の高さの緑」を意識してみてください。
🍃 5月の暮らしに取り入れたい「緑」
「肝」の季節には、五行の対応色である「青・緑」を生活に取り入れることが、伝統的な養生の知恵とされてきました。
- 観葉植物を東の窓辺に置く:朝日と緑の組み合わせで一日の気が整うと言われます。
- 緑の野菜を意識して食卓に:春キャベツ、新玉ねぎ、グリーンアスパラなど。
- 散歩で自然の緑に触れる:神楽坂の路地や赤城神社の杜は、春の気を浴びるのに絶好の場所です。
- 深呼吸で気を巡らせる:体を伸ばす、ゆっくり息を吐く——「巡らせる」意識を持つだけで違うと伝わります。
なぜ「東の窓辺」なのでしょう
五行では方角も割りふられていて、木=春=東とされます。日が昇る方角であり、一日のうち「気が立ち上がる時間」に光が入る場所です。文化的な意味づけとしては、東の窓辺は春の性質がいちばん濃い場所ということになります。
そして、これは植物の側から見ても理にかなっています。東向きの窓は、午前中のやわらかい直射日光が数時間入り、午後は明るい日陰になる——という光の条件になります。パキラやモンステラのような、もともと熱帯の樹木の下で育ってきた観葉植物にとって、これは非常に相性がよい環境です。真南の窓は、5月ともなると葉焼け(葉の一部が白や茶色に変色すること)を起こす強さになることがあり、レースのカーテン一枚を挟んだほうが安全なくらいです。東洋思想の「東」と、園芸の「東」が同じ答えに着地するのは、この記事の中でも特に気持ちのよいところです。
深呼吸は「吐くほうを長く」
気を巡らせる、降ろす、という発想を実際の動作にすると、吸う時間より吐く時間を長くとるという形になります。目安としては、鼻から四つ数えて吸い、口から六つから八つ数えてゆっくり吐く。これを三回か四回くり返すだけでも、肩の位置が下がって視野が広がる感じがつかめます。
タイミングは、朝、窓を開けたときと夕方、帰宅して荷物を置いたときの二回に決めてしまうと続きます。「一日に何度も」よりも、「決まったときに必ず」のほうが、暮らしの中では定着しやすいものです。

5月は植物がいちばん元気な季節!ぼくたち、エネルギーを少し分けてあげるから、東の窓辺に来てくれたら嬉しいな。
🍋 5月の食養生——酸味と甘味、そして香り
五行の対応では、肝に結びつく味は「酸味」です。ではこの季節、酸っぱいものをたくさん食べればよいのか——というと、実は伝統的な考え方はその逆を説きます。
「省酸増甘」——酸味を控えめに、甘味をすこし増やす
唐代の医家・孫思邈(そんしばく)が著した『千金方(せんきんほう)』には、「春七十二日、省酸増甘、以て脾気を養う」という一節があります。おおまかに言えば「春のあいだは酸味を控えめにして甘味を増やし、脾(消化吸収の働き)をいたわりなさい」という意味です。
理屈は、先ほどの相克の話につながります。酸味は肝に入ると考えられているため、酸味をとりすぎると肝の勢いがさらに強まる。そして木=肝が強くなりすぎると、土=脾を抑えつけてしまう。だから春は、肝をあおる酸味は控えめにして、脾を助ける甘味を少し足す——という組み立てです。
ここで注意したいのが、東洋医学でいう「甘味」は、砂糖の甘さやお菓子のことではないという点です。指しているのは「穏やかに補い、緊張をゆるめる性質を持つ食べもの」で、伝統的には山いも、なつめ、かぼちゃ、さつまいも、いんげん豆、うるち米やもち米、にんじん、白菜といった、噛むとほのかに甘い滋味のあるものが挙げられてきました。5月なら、新じゃがや新玉ねぎ、そら豆、グリーンピースなども、この「甘味」の感覚にすんなり収まります。
- 酸味は「ゼロにする」のではなく「味つけ程度に」:梅干しやお酢の物をやめる必要はありません。主役にしない、という程度の感覚です。
- 甘味は「ほのかな甘さの野菜と穀物」から:砂糖を増やすことではありません。甘いお菓子はむしろ控えめが望ましいとされます。
- 冷たいものを一気にとらない:気温が上がる5月は冷たい飲みものが増えますが、脾は冷えを嫌うとされます。氷入りを続けざまに、は避けたいところです。
- 朝ごはんを抜かない:後ろの章でも触れますが、春の養生では朝の一食が重く見られてきました。
香りは「気を巡らせる」と考えられてきました
前の章でご紹介したとおり、漢方には「理気薬」という、気の巡りを助けるとされる分類があり、そこには陳皮(みかんの皮)、蘇葉(赤じその葉)、薄荷(ミント)といった香りの強い植物が並びます。この事実そのものが、東洋医学における香りの位置づけをよく表しています。
暮らしに落とし込むなら、こんな形になります。
- 柑橘の皮を使う:レモンや甘夏の皮をひとかけ、白湯や紅茶に落とす。無農薬・防カビ剤不使用のものを選び、よく洗ってから使ってください。
- 大葉(青じそ)を薬味で常備する:5月から出回りが本格化します。刻んでご飯にのせるだけで、香りと緑の両方が食卓に入ります。
- ミントを鉢で育てる:非常に丈夫で、初心者でも枯らしにくい植物です。ただし地植えにすると地下茎でどこまでも広がるので、鉢植えが原則と覚えておいてください。
- 三つ葉、せり、木の芽(山椒の若葉):日本の食卓に古くからある香りの葉です。汁ものに最後に散らすだけで印象が変わります。
香りは、強ければよいというものではありません。むしろこの季節は、「一日のうちで香りに出会う回数」を少し増やすくらいの感覚が心地よく続きます。台所で刻むとき、お茶を淹れるとき、窓辺の鉢の葉に触れたとき——そのたびに一呼吸置く。それだけで、気持ちの向きが少し変わります。
なお、香りの感じ方には個人差が大きく、体調によっては強い香りが負担になることもあります。妊娠中の方、小さなお子さまやペットがいるご家庭では、精油(アロマオイル)の使用について事前に確認することをおすすめします。植物そのものを飾る・育てるという楽しみ方であれば、こうした心配は少なくなります。
🌸 5月から初夏の植物と、東洋思想でのいわれ
5月の花屋の店先に並ぶ植物には、東洋の暮らしのなかで長く意味を与えられてきたものが少なくありません。ここでは代表的なものを、由来とあわせてご紹介します。
菖蒲(しょうぶ)——五月五日の「香りで祓う」植物
端午の節句が「菖蒲の節句」とも呼ばれるのは、この植物が主役だからです。起源は古代中国にさかのぼり、旧暦の五月は季節の変わり目で病や災いが起こりやすい時季とされていました。そこで人々は、香りの高い菖蒲やよもぎを軒に挿し、菖蒲湯につかり、菖蒲酒を飲んで邪気を祓おうとしたと伝えられています。
この風習は平安時代の日本に伝わり、宮中の「端午の節会(せちえ)」という行事になりました。菖蒲やよもぎなどの薬草を丸く編んだ薬玉(くすだま)を柱に掛けたり、腰に下げたり、贈り合ったりする習慣も生まれています。現在の「くす玉」の語源が、この薬草の玉だというのは、知っておくと少し楽しい話です。
ここで、園芸的な混同を整理しておきましょう。菖蒲湯に使う「ショウブ」と、5月から6月に紫の花を咲かせる「ハナショウブ」は別の植物です。菖蒲湯のショウブはサトイモ科で、花は地味な棒状のもの。あの美しい花を咲かせるハナショウブはアヤメ科です。名前と葉の形が似ているために古くから混同されてきましたが、香りが立つのはサトイモ科のショウブのほうです。花屋やホームセンターで「菖蒲湯用」として束で売られているのは、こちらになります。
よもぎ——身近な野の草が、節句の主役に
よもぎもまた、菖蒲と並んで端午の節句に用いられてきた香りの植物です。古代中国ではよもぎで人形を作って軒先に飾ったと伝えられ、日本でも草餅や草団子として、春から初夏の食文化に深く根づきました。土手や空き地に自生する、どこにでもある草でありながら、季節の行事の中心に置かれてきた——という点が、この植物の面白さです。
摘んで使う場合は、犬の散歩道や車の通りの多い道路脇は避け、農薬散布のない場所を選ぶこと。似た葉の草もありますので、確実に見分けられないものは口に入れないでください。よもぎは葉の裏が白い細かな毛でおおわれていて、揉むと独特の強い香りがします。
芍薬(しゃくやく)——花屋の主役であり、生薬でもある
5月の花屋を語るなら、芍薬を外すことはできません。ボタン科の多年草で、おおむね4月から6月ごろに開花期を迎えます。かたく丸い蕾がゆっくりほどけて、幾重にも重なった花びらが開いていくさまは、この季節ならではの見どころです。
そしてこの芍薬は、乾燥させた根が生薬「芍薬(シャクヤク)」として用いられてきた植物でもあります。芍薬甘草湯、当帰芍薬散、加味逍遙散といった漢方処方の名前に、そのまま登場します。日本へは平安時代のころに薬草として伝わったとされ、観賞用の花として広く楽しまれるようになったのは、その後のことです。庭の花が、そのまま薬の材料でもあった——という時代の感覚が、この一株には残っています。
もちろん、園芸店で売られている観賞用の芍薬を薬として使うことはできませんし、してはいけません。ここでご紹介しているのは、あくまで文化と歴史の話です。生薬として用いられるのは、栽培・調製の管理を経た専用のものです。
切り花として飾るときのこつを、いくつか。芍薬の蕾は、表面に蜜のようなものが出て固まり、そのせいで開きにくくなることがあります。湿らせたティッシュや布で、蕾の表面をそっと拭いてあげると開きやすくなります。水は浅め、切り口は毎日少しずつ切り戻す。花が開ききると重くなるので、花首を支えられる高さの花器を選ぶと、最後まできれいに見せられます。
くちなし——梅雨に香る、白い花
くちなしはアカネ科の常緑低木で、6月ごろ、枝先に白い花を咲かせます。学名の種小名 jasminoides は「ジャスミンのような」という意味で、その甘く濃い香りに由来しています。じんちょうげ、きんもくせいと並んで「三大香木」に数えられる植物です。
くちなしの果実は生薬名を「山梔子(さんしし)」といい、漢方の原料として知られています。同時に、古くから黄色の染料としても重要で、たくあんや栗きんとんの色づけなど、今も食品の着色に使われています。香り・薬・色という三つの役目を持つ、東アジアの暮らしのなかでずいぶん働いてきた植物だといえます。
庭やベランダで育てる場合、くちなしはオオスカシバという蛾の幼虫(緑色の大きな芋虫)がつきやすいことで有名です。葉が急に食べられていたら、葉裏をよく探してみてください。半日陰でも育ち、酸性土を好みます。
ジャスミン(茉莉花)——香りをお茶にした文化
ジャスミンのなかでも、中国で古くから親しまれてきたのが茉莉花(まつりか)です。茶葉にその香りを移したものが、いわゆるジャスミン茶(花茶)。香りそのものを飲みものとして仕立てるという発想は、「香りは気を巡らせる」という東洋の感覚と、まっすぐ地続きに見えます。
🌳 5月におすすめの観葉植物
- パキラ:春の成長期に新芽が次々と出る、もっとも勢いを感じられる時季。
- ガジュマル:気根を張り、春は植え替えのベストシーズン。
- ベンジャミン:5月の柔らかい日差しが大好物。
- モンステラ:新葉が大きく開く季節。リビングの東向きにぴったり。
5月は、一年でいちばん植え替えに向いた時期です
観葉植物の多くは熱帯・亜熱帯の出身なので、寒い時期の植え替えは大きな負担になります。気温が安定して15度を超え、これから成長期に入っていく5月から6月が、根に手を入れるのにもっとも向いた時期とされています。作業のあとに元気を取り戻すだけの体力が、植物の側にある季節だからです。
植え替えの目安になるサインを挙げておきます。
- 鉢底の穴から根が出てきている
- 水をやってもなかなか染み込まず、表面にたまる
- 水やりの間隔が以前よりずいぶん短くなった(根が鉢いっぱいで、土が少ない状態)
- 新しい葉が前より小さい、下葉が黄色く落ちる
- 買ってから、あるいは前回の植え替えから2年以上たっている
鉢はひとまわり大きいもの(直径で3センチ程度上)を選びます。いきなり大きすぎる鉢に移すと、土の量に対して根が少なく、乾きにくくなって根を傷めることがあります。植え替えのあと一週間ほどは直射日光を避け、明るい日陰で休ませてから、いつもの置き場所に戻すと落ち着きやすくなります。
5月からの水やりと肥料の考え方
気温が上がると、植物が使う水の量も増えます。冬のペースのままだと足りなくなりますが、かといって「毎日決まった時間に少しずつ」は根腐れのもとです。基本は変わらず、土の表面が乾いたら、鉢底から流れ出るまでたっぷりと。受け皿にたまった水は必ず捨ててください。
肥料は、成長期に入る5月から与えはじめるのが一般的です。ただし植え替えの直後は根が傷んでいるので、二週間から一か月ほど空けてからにします。新しい培養土にはもともと肥料分が含まれていることも多いので、パッケージの表示を確認してから足すと安心です。
そしてこの時季にもうひとつ大切なのが、葉の裏を見る習慣です。気温が上がるとハダニやカイガラムシが増えはじめます。霧吹きで葉水(はみず)をかけるのは、ハダニが乾燥を好むことへの対策としても理にかなっています。葉を拭くついでに裏返す——それが5月からの点検になります。
📅 暦で見る5月——立夏から小満へ
二十四節気で見ると、5月はもう「春の終わり」ではなく「夏のはじまり」に区分されます。立夏(りっか)が5月5日ごろ、小満(しょうまん)が5月21日ごろ、そして芒種(ぼうしゅ)が6月6日ごろ。暦の上では、5月5日を境に夏に入るわけです(日付は年によって一日ほど前後します)。
立夏は「夏が立つ」、つまり夏の気配が立ちはじめるという意味。日ざしが明るくなり、風が乾いて、一年でもっとも過ごしやすい時期にあたります。小満は「万物がしだいに満ちてくる」という意味で、麦が実り、草木が生い茂り、目に見えて世界が厚くなっていく時季です。
東洋医学の季節の対応では、春=肝の時季から、夏=心(しん)の時季へと重心が移りはじめるのがこのあたりです。ただし現実の体は、暦の上で線を引いたようにきれいには切り替わりません。春の伸びる勢いと、夏の上へ向かう熱さが、5月には重なって存在している——そう捉えると、この月の「元気なのに疲れる」という不思議な感覚が、少し腑に落ちるかもしれません。
🍵 5月の小さな養生ヒント
- 朝ごはんを抜かない(肝は朝の働きが活発と言われる)
- 早寝早起きで気を整える(春は早起きが養生と伝わる)
- イライラしたら大きく息を吐く(気を「降ろす」イメージ)
- 柑橘類など香りのよいものを取り入れる(巡りを助けるとされる)
一日の流れに置いてみると
上のヒントを、実際の一日にあてはめると次のようになります。全部やろうとせず、ひとつかふたつ選んで、二週間続けてみるくらいがちょうどよい分量です。
- 朝:カーテンを開けて外の光を目に入れる/窓辺の鉢を見ながら深呼吸を三回/温かい汁ものを含む朝食をとる
- 昼:一時間に一度、遠くの緑に目を移す/昼食に香りの薬味(大葉、三つ葉、しょうが)をひとつ足す/短くても外の空気に触れる
- 夕:帰宅したらまず荷物を置いて息を長く吐く/夕食は温かいものを中心に、冷たい飲みものは控えめに
- 夜:寝る一時間前から照明を落とす/湯船で足元をあたためる/画面を見る時間に区切りをつける
『黄帝内経』の春の養生が説くのは、「がんばる」ではなく「ゆるめる、伸ばす、締めつけない」でした。予定を詰めない日をつくる、袖や襟のきつくない服を選ぶ、朝いちばんに大きく伸びをする——そういうちいさな「ゆるめる」のほうが、この季節の養生の本筋に近いのかもしれません。

堅苦しい養生法じゃなくて、「緑を見る・深呼吸する・早起きする」——これだけでも十分気分転換になりますね!!
🌱 「五月病」と、季節の変わり目との付き合い方
「五月病」は医学的な診断名ではありません。新生活の緊張や疲れが続いたあと、連休明けごろに心身の不調が目立ってくる状態を指して使われる、日本の通称です。医学的には「適応障害」に該当することが多いとされ、厚生労働省の働く人のメンタルヘルスに関する情報でも取り上げられています。
興味深いのは、この時期の重なり方です。4月に環境が変わり、緊張で走り抜けたあと、大型連休でいったん力が抜ける。そこへ、東洋医学でいう「肝が高ぶりやすい季節」と「春から夏への切り替わり」が重なる。まったく別の体系から見た二つの説明が、同じ5月という一点を指しているのは、偶然というよりも、多くの人が実際にそう感じてきたということなのだろうと思います。
東洋思想における「季節の変わり目」の捉え方も、ここで少し触れておきます。五行では、季節と季節のあいだに「土用(どよう)」という期間が置かれています。うなぎで知られる夏の土用が有名ですが、実際には春夏秋冬それぞれの前に、およそ十八日間の土用があります。立夏の前の十八日間が「春の土用」で、5月上旬までがこれにあたります。この期間は五行の「土」=脾の担当とされ、切り替えのあいだは消化の働きをいたわり、無理をしないという考え方が伝わっています。
言いかえれば、「変わり目には失速するものだ」ということを、暦のほうがあらかじめ織り込んでいるわけです。連休明けに調子が出ないのは、あなたの意思が弱いからではない——そういう捉え方を、昔の人はずいぶん前から持っていたことになります。
がまんせず、医療機関へ
ここまでご紹介したのは、あくまで暮らしの文化としての養生の話です。気分の落ち込み、眠れない、食べられない、体が動かないといった状態が二週間以上続くとき、あるいは日常生活に支障が出ているときは、季節のせいと決めつけず、心療内科や精神科をはじめとする医療機関にご相談ください。目の症状が続くときは眼科へ、体の不調が続くときはかかりつけの先生へ。早めに相談することが、いちばん確かな養生です。植物や香りは、その支えになることはあっても、治療の代わりにはなりません。
❓ 5月の養生と植物、よくあるご質問
Q. 東洋医学の「肝」が弱ると、肝臓が悪くなるということですか?
いいえ、別のものさしの話です。東洋医学の「肝」は、気や血を巡らせる機能のまとまりを指す概念で、臓器としての肝臓の状態を示すものではありません。健康診断の数値については、必ず医師の説明にしたがってください。
Q. 「春は酸味」と聞いたのに、酸味を控えるのですか?
五行の対応表では「肝=酸味」ですが、これは「酸味は肝に届く」という対応関係を示すもので、「たくさんとりなさい」という意味ではありません。むしろ古典では、肝が高ぶりやすい春には酸味を控えめにし、脾を助ける甘味を少し増やす(省酸増甘)と説かれています。対応表は「どこに届くか」の地図であって、量の指示ではない、と理解しておくと混乱しません。
Q. 東の窓がない部屋では、どうすればよいですか?
東向きは「あればなお良い」条件です。実際の生育では、直射日光が入らなくても、レースのカーテン越しに明るさが確保できる場所であれば、多くの観葉植物は育ちます。北向きしかない場合は、ポトス、サンスベリア、アグラオネマなど耐陰性の高い種類を選ぶと安心です。窓から離れた場所に置くときは、週に何日か窓辺に移動させる、という育て方もあります。
Q. 香りの強い花は、寝室に置いてもよいですか?
くちなしやジャスミン、ゆりのように香りの強い花は、閉め切った寝室ではかなり濃く感じられることがあります。眠りの妨げになる場合もあるので、寝室よりも玄関、廊下、リビングなど、風の通る場所のほうが向いています。香りは「一日のどこかで出会う」くらいが心地よい、というのは、この季節に限らず言えることです。
🌾 おわりに——伸びる季節に、伸びるままでいる
五行や肝の話は、はじめは覚えることが多く感じられるかもしれません。けれど、この季節の養生が伝えていることは、突きつめればとても短い言葉になります。春は伸びる季節だから、伸びるままにしておく。芽を押さえつけない。予定で締めつけない。上がったものは、夜のうちに降ろしておく。
菖蒲を軒に挿した人も、よもぎを摘んで餅にした人も、芍薬の蕾がほどけるのを待った人も、たぶん同じことをしていたのだと思います。季節が変わっていくことを、暮らしの手ざわりで確かめていたのでしょう。窓辺の鉢に新しい葉が一枚増えているのを見つける——それも、まったく同じ営みです。
5月の光はやわらかく、風はまだ乾いています。緑がいちばん濃くなるまでの、短いあいだ。どうか、深く息を吐いて、少し遠くの木を見上げてみてください。
KIKYOYA FLOWERS
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